貝島百合野山荘邸
 (動画:5'59" 画像上でのときクリック  全俯瞰できます)

山荘の主庭から(上部中央部が玄関)        


屋敷全景(玄関から)
 〈解説〉
 炭鉱経営で筑豊御三家の一つとされた貝島炭鉱創業者(貝島太助)一族の貝島六太郎(貝島太助の弟)旧邸「百合野山荘」は、完成から100年の時を経て地元に残る貴重な炭鉱遺産といわれています。現在の所有者は貝島化学工業社長 貝島義朗氏(参照:左下 貝島家系統図)です。

 建物は木造一部2階建てで、東西に長く広がります。同社の「百合野山荘調査・分析スタッフの会」(岩田憲明代表)によりますと、1915年に完成し、住宅として使われた建物と、茶室や茶庭を備え、地域や一族のための応接機能を持った建物とが共存すします。宅地は約1万7700平方メートルで、約8万平方メートルの敷地を持ちます。

 通用門の「毛利門」から入った玄関前や回遊式庭園の主庭などでは紅葉が楽しめ、散策路ともなる梅園や竹林のほか、鳥居と一対のこま犬を備えた社跡や仏碑、貝島炭鉱の主力だった大之浦炭鉱(宮若市)などを望んだ展望所跡があります。

 スタッフの会は「自然の地形をそのまま利用し、建物の建築から造園まで多くの匠(たくみ)の技を統合し、和風の技法に西洋技術を取り入れた山荘である。貝島家の多機能住宅施設として歴史的価値は高い」とみています。県も近代和風建築の総合調査の一環で基礎調査を終えています。

 貝島製作所元代表取締役で「貝島百合野山荘の保存と活用を考える市民の会」の筌場弘則さんは「石炭産業の隆々とした時代がしのばれる。ぜひ保存し、炭鉱の歴史とともに残してほしい」と訴えています。同会会長の原田正彦さんは「貝島家の建物で地元に現存するのは百合野山荘だけ。建物も庭も壮大で、感動した。保存に向け、さらに市や市民にアピールしていきたい」と話していました。
   (以上 2018/11/29付 西日本新聞朝刊から編集)


貝島家の家系図

貝島百合野山荘・敷地全景
宅地:    5,368坪
原野・山林:24,417坪
合計:   29,785坪
別敷地(県道北側):5,994坪

※下左図で、一部だけですが、箇所名がある所での場合、クリックするとその箇所の画像が表示されます。

  屋敷見取り図 ※一部だけですが、箇所名がある所での場合、クリックするとその箇所の画像が表示されます。
 ※一部だけですが、箇所名がある所での場合、クリックするとその箇所の画像が表示されます。 
 
  現在は、大きな木に囲まれて望めませんが、以前は、左図の山頂展望所(アズマヤ)から、大ノ浦貝島炭鉱や創業者貝島太助出身地の直方市街が展望できたということです。
 
 この展望所から貝島太助翁や六太郎氏などが貝島の行く末をみていたのではないでしょうか。

※本ページ作成資料等は「炭鉱遺産『貝島百合野山荘』市民の会」からの提供によるものです。

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